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「身体を使う」というのは頭で動きを考えずに、そして作らずに「身体感覚を使う」ことです。
 

身体塾では運動をするのではありません。
また、新しい動きを覚えて帰るのではありません。


身体は、24時間常にオートマチックに動いています。
よく冗談で「ムカデは足を動かす時、一つずつ考えてはいない」という通り、人も日常や仕事では「身体を動かそう」とは思っていません。

 

「では腕がねじれているのを感じてみて下さい」というような指示を出します。
自分の身体ですから、誰でも感じられる筈です。
しかし、ここにトリックがあります。
それは
「感じる」と『思う』の混乱というトリックです。
その方向に思考が働いてしまうのです。

 

私達は、病気で身体のどこかに異常がある時、あるいは怪我をして異常がある時にしか、自分の身体を「感じている」事はありません。
実は、その「感じる」ことこそ、身体の持つ働きを発揮させるキーワードなのです。

 

冒頭で書いた「運動するのではない」というのは、このことです。
 

自分の身体を感じ取り、本当の意味での自分の身体にすること。
それが「身体塾」の目的です。

 

当然、アスリートであれば、より力を発揮でき、またダンサーであれば、より美しく、あるいは、よりしなやかな動きを創出させられるようになります。
もちろん、オリジナルな動きが自動的に表出されるようになるのです。

何故なら、頭で作らずに「身体感覚を使う」からです

身体塾

背骨を使う

身体を通して他人との繋がりを気付いていくのが「関係塾」です。
 

自分と身体の繋がりは、身体塾で言う自分自身の頭のトリックに気付くことです。
そして、最も大事なことは、
頭で関係を理解することではなく、こころが気付くこと」です。


関係や繋がりというのは、みなさんが考えている程、あるいは、思っている程単純で浅いものではありません。
本音や本心といいますが、それも結局は「理解」という範囲を出ていません。

関係や繋がりは、生物としての、あるいは、動物としての本能的、生命的関係や繋がりをいうのです。

 

ですから、元々そういった能力は誰一人の例外なく備わっているものなのです。
それを妨げているのが自分自身の持つ、思いや知識、固定観念そして考えです。
そこを整理し、本来の機能を復活させるのが「関係塾」の目的です。
その妨げているものが少しでも剥され、本当に関係というものが体現されれば、つまり、自分自身のこころが開いたなら、あなたはどんな人のこころにも語り掛けられるし、こころで共鳴させることができるのです。
もちろん、相手からはこころから信頼される人になるでしょう。

 

また、「動き」ということで言えば、動物同士がじゃれあっているような、幼児が母親に甘えているような感動を全ての人に与えられるでしょう。
つまり、
誰の「こころ」をも動かす動きになるということです。

身体関係塾

対人関係塾

「自分の思っている自分」と同じように、他人は自分のことを見てくれているでしょうか。

​「自分の言葉は相手に表現されている」でしょうか?


それは全く違います。
あなたが他人を見ているのと同じです。

「自分の思っている自分は」自分だけの思い込みに過ぎないのです。
 

毎日鏡を見る自分は、思い込みの自分が自分を見ているのです。
思い込んでいる人を他人が見ると、違和感があるので「気持ち悪い」ただそれだけです。

ただ、そのことは「絶対に口には出しません」

あなたも言わないでしょう。
 

そこを認識すること、そして他人の見た自分を認識することで、ギャップを埋めていきましょう。
 

それが的確な表現に繋がるからです。

​つまり、自分の思う自分だけの自分ではなく、自分の思う自分は、他人の見ている自分になっているということです。

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